チャーク城 Chirk Castle
チャーク城の優美な鉄の門(Iron Gates)を見上げる(写真下左)。1719年にできたものだという。上部の紋章は1595年からこの城の主となった ”Myddelton家”のものだ。真ん中の一番高いところに見える赤い部分は”血塗られた赤い手”だ。その伝説については こちらをどうぞ。
チャーク城の建設は1295年に始まり1310年に完成している。イギリスに征服される前の最後のウェールズの城なのだ。 現在はナショナル・トラストの管理だ。4つのタワーを城壁で繋いだ構造は正に要塞だ。北側の入り口は極めて狭く造られ、堅い守りを偲ばせる。 写真上右のスナップの後ろがそれだ。スナップの中世の兵士(射手)の扮装をしているのはウィル(Will)という男性で、城内の案内をしてくれるようだが、 言葉が分からないので記念写真のみで辞退する。城は防衛のため丘の上にあるので見晴らしも抜群だ。
狭い入り口から中庭に入る(写真上左)。殺風景なほど何もないが、今もMyddelton家の末裔がお住まいだと聞く。
東面の城壁は蔓性植物で覆われ、紅葉が始まっており美しい。その並びにイチイのヘッジやトピアリーで囲まれたフォーマル・ローズ・ガーデンがある(写真上右、下4枚)。
バラの盛りは外れたが、なかなかに厚い植栽だ。サンダイアルは1696年の制作だという。
整形式ガーデンから西に見事に手入れされた芝の広場の斜面を下って行く(写真上の上右から2枚目)。インフォーマル・ガーデンだ(Informal Garden)。
左手はイチイの生垣に沿ってボーダーが連なり(写真下左)、右手は広葉樹や針葉樹の爽やかな林が広がっている。
先の方に懐かしいコテージが見えてくる。オリジナルは1766年に温室(Greenhouse)として建てられたもので1912年に立て替えられ、
その後、鷹の小屋として使用したので"Hawk House"と呼ばれる(写真下右3枚)。19世紀末に流行したコテージガーデンというには歴史が違うが、
絵に描いたような美しさだ。何か夢を見ているような心持ちで飽くことなく周囲を徘徊する。
ここはウェールズ、イングランドと異なり起伏のあるグランドがガーデンに広がりを与える。緩やかな斜面を引き返す。午前中なのに汗ばむほどの陽気になってきた。 丘の上の城が夏のような陽光に光って見える(写真下左から2枚目)。その城の東の高台(East Elevation)のイチイのトピアリーに囲まれた芝の広場が 17世紀に始まるフォーマルガーデンだ(写真下右から2枚目)。このイチイの木は1872年に植えられたものだという。 このガーデンには3人のフルタイムのガーデナーと8人のボランティアがいるのだが、この芝刈りに3日間、トピアリーの刈り込みには2ヶ月を要するのだという。
フォーマルガーデンの隅にブロンズ像が4体見られる。1つはバラの花を持つ少女像(写真下左)だが、残る3つは明らかに作風が違う。
左から2枚目はゆりの花を胸に抱いているが、足元を見ると蛇を踏んでいるのだ。この像はまだしも布を腰に巻いているが、残る2体は全裸の像だ。
その上、右から2枚目は後ろ手に縛られているし、右は目隠しをされている。何を意味するものなのか、背筋がぞくぞくするようなおどろおどろしいものだ。
明るい太陽の下だが、一帯が暗くなったような感じもする。
帰国後、調べてみると、Andrea Carlo Lucchesiという英国で活躍したイタリア人彫刻家の19世紀末から20世紀初めの作品らしい。
タイトルは左から2枚目が"Oblivion"、ユリにうっとりして我を忘れている状況を差すのだろうか。右から2枚目は"Vanishing Dream"、
捉えられ縛られた状況が”消える夢”なのだろう。右は"Destiny"というタイトルだ。アートは難しい。
Address | Chirk, LL14 5AF |
Telephone | 01691 777701 |
Web Site | Chirk Castle |
オープンの日・時間や入場料は Web Site あるいは
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